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005の回想シーンとして書くつもりが忍野との会話が必要以上に熱くなってしまったので思い切って一つの作品にしてしまいました。

一つ前に書いた二次小説を教訓にしっかり書いたつもりです。

005ともちゃんとつなげているので。

ではでは。


くつひもケッカイ!

くつひもケッカイ



001



 小さい頃、僕はけっこう不器用な子供だった。
 それは人付き合いが苦手という意味ではなく、用量が悪かったのか運動神経が鈍かったのか。とにかく何をやらせても簡単な事で失敗していた。
 特に苦戦したのが靴紐だったのを覚えている。
 今思えば、僕は三次元的なことが輪をかけて苦手分野だったような気がする。蝶結び。特にあれができなかった。小学生になって、幼稚園児の妹が先にできるようになりそうだったので慌てて練習したものだ。
 あの頃は、ただ靴紐を結ぶだけのことに気合を入れて望んでいた。
 気をひきしめていたと言ってもいい。
 そして、あの時は紐をチョウチョの形に結べるということが嬉しく思えていたのだ。
 でもしだいにそれが当然のこと、簡単な部類に入る事になってしまうと、そんな感情も芽生えなくなっていた。特によくも悪くもない、無感動で行うただの動作になりさがってしまった。

 それが数年のときを経て、逆ベクトルに感情を抱くようになるだなんて。
 僕は考えた事もなかった。
 本当に。


002


「はっはー。阿良々木(あららぎ)くん、今日は本当に元気がいいなあ何かいいことでもあったのかい?」
「…………」
 元気もないし、いいこともなかった。
 だから僕は黙っていた。
 忍野(おしの)を黙殺し、沈黙を守り、黙々と作業を続けていた。
 入学式のムードも過ぎ去り、春が徐々にその腰を上げかけていた時期の事。もうすぐ訪れようとしているゴールデンウィークに一学生として心を躍らせていたとある平日の放課後、僕は忍野に呼び出しを受けてやってきていた。
 もちろん携帯電話なんて文明の利器など持っていない忍野である。予定は朝にばったり遭遇したときに押し付けられたものだ。
 忍野メメ。
 ひどく萌えそうな名前のくせ、その実態は30過ぎのおっさんである。
 そして、僕こと阿良々木暦の命の恩人でもある。
 不本意なことに。
 まだついこの間のことでしかない春休み、今時の現代人としてこの上ないほど恥ずかしいことに僕は夜の地方都市の片隅で、吸血鬼に襲われた。そしてヴァイオ・ハザードよろしく同類にさせられ、闇に生き太陽に怯えるナイト・ウォーカーとなって町をさ迷っていた時に、僕を助けてくれたのが忍野だった。
 なんでもそういうことの専門家なのだそうだ。
 火のついていない煙草をくわえて、サイケデリックなアロハ服を着た汚らしい身なりの非常に怪しいおっさんなんだけど。
 とにかく、実績はあった。
 そして僕は助けられた。
 忍野ならば、助けたんじゃなく僕が勝手に助かっただけと言うだろうが、とにかく僕は助けられたと思っている。
 感謝をしている。
 だから忍野から、ちょっと住居の改築の手伝いをして欲しいと頼まれた時、僕は二つ返事で了承していた。そしてその日の放課後、学校からの帰り道に、旅から旅の自由人、またの名をホームレスとも呼べる忍野が勝手に住んでいる学習塾跡の廃ビルを訪れていたのだ。
「…………」
 そして訪れてから数時間後の現在、僕はものすごく後悔していた。
 数時間前の、もしくは今朝の、または忍野と出会った自分をこの手で殴ってやりたいくらいに、後悔の念にさいなまれていた。
 その理由は、手にある一本の紐である。
 靴から抜き出したもので、長さは30センチ程度の薄汚れた靴紐である。それを結んではほどく、結んではほどくという単純作業を、先ほどから延々と続けている。こういう手順の少ない動作を続けている事は一見簡単に見えても、精神にはひどく疲労を与える。体力には自身のある僕だったが、さすがにこの手の作業にはまいるものがあった。
 嫌だ。
 紐を結んでほどくだけのことがこんなに苦痛に思える日がくるだなんて。
 なんでこんなことをしているかは、以下の文章から読み取っていただきたいところなのだけど。
「…………」
 当然、ずっとこんなことをしていれば口数も減る。
 なのに、同じ作業をしているはずの忍野は全然黙らない。
 さっきから僕が黙っているのをよそにベラベラベラベラと原発の排水のように言葉を口から吐き出し続けている。専門家だと言ってたし、もしかするとこんな作業にも慣れているのかもしれない。もしくはただのお喋りか。
 忍野は言う。
「阿良々木くん、君はなにか週刊誌とかは読んでるかな? 最近は普通のやつに加えてスーパーとかヤングとか色々あるよね。まったく、セーラームーンかと思うよ。まあ美少女戦士の話はさておき僕が学生だった時はジャンプもマガジンも今よりもっと安くてさ。けっこう気軽に立ち読みできたんだけどね」
 値段が上がると、なんか罪悪感も出てきちゃって。
 そう、忍野は自分の話に落ちをつけた。
 本当ならば突っ込み役を自認する僕としては今の忍野に、結局立ち読みなのかよ、と言わねばならないところなのだろうけれど、今の精神状態ではそれは適わなかった。
 しかたなく、それとない相槌だけでも打っておくことにする。
「中学校までは買ってたけど、今はないな。てか、下の妹が漫画好きでさ。ジャンプもサンデーもマガジンもチャンピオンも毎週買ってきてるんだよ」
 だから買ってはいないけど、読んではいる。
 他にも妹は少女漫画系の雑誌も買い集めているが、そっちには目を通していない。
 毎週それらをゴミ出しに持っていかされるのが僕であることは割愛した。
「ふーん。うらやましいなあ阿良々木くん。僕もそういう趣味の通じる家族が欲しかったよ。でも話の本題は阿良々木くんの家族自慢じゃないんだよね。可愛い妹のノロケ話なんか聞かされてもゲップが出るだけだよ。さておき少年サンデーも読んでいるんなら『結界師』って漫画は知ってるよね?」
「ああ、この前なんとか賞を受賞した漫画だろ?」
 忍野が今の漫画の話題を出してきたことに驚きを感じながらも、僕は答えた。
 妹云々に対して突っ込みを入れるタイミングを逸してしまったことに、遅れて気づく。
 いかん。かなりボーっとしていた。
 紐をいじる作業に集中し、気を取り直そうとしている僕に、忍野は話を続けてきた。
「あれはすごいよね。結! 滅! で軽く妖怪退治してるんだから。だってあれ予備動作もなんもないんだぜ。孔雀王だってぬ~べ~だって多少は呪文も唱えてるのにさ。あれじゃあ殺される方が可哀想だと思うよ」
「いや、漫画やアニメの主人公がやたら強かったり謎の力持ってたりするのはセオリーっつかお約束だろ。すごいって言ったら亀仙人はかめはめ波で月消すし、最終兵器彼女なんて地球壊しちゃうんだぜ。その程度だったら文句を言うほどでもないだろうが」
 もしかして自分が本職の人だからなにか感じるところがあるのだろうか。
 だとしたら意外と子供っぽいとこがあるな、忍野のやつ。
 ま、萌えキャラにはなれないけど。
 けれど僕の推察は外れていたらしく、忍野は首を振って答えた。
「そこは本題じゃないから別にいいんだよ阿良々木くん。今の漫画を上げたのは前振りさ。いきなりなんの伏線もなく話の筋が変わっちゃったりしたらみんな驚くだろう? そのための前準備なのさ」
「はあ、なんだよ忍野。いつものことながら回りくどいな」
 あとみんなって誰だ。
 僕なら1人しかいないぞ。
「そう言ってくれるなよ阿良々木くん。僕はこう見えてお喋りなんだ。無口キャラの対極に位置する男といってもいいね。1を聞いて10を知るやつなんてたまにいるけどさ、あれって説明したり解説したりするのが好きな人間から見たらけっこう迷惑なんだぜ。だから僕は人と話をする時は回りくどく回りくどく10教えるために20語るような話し方をするようにしているのさ」
「それもかなり迷惑だな」
 そしてかなりウザくもある。
 無駄すぎるように思えた冗舌は確信犯だったらしい。
 話す側からの理屈は分るけど、普通の人から見たら無駄に話の長いやつって嫌われやすいんだよな。そのくせ聞いてないと怒るし。例を上げれば校長先生とか。
 忍野が変わり者な理由の断片が知れた気がした。
 確かに、友達少なそうだもんな、コイツ。
 そして世捨て人だし。
 そんな僕の同情心など知らない様子で、忍野は話を再開した。
「とにもかくにも、キーワードは“結界”さ」
「ああ、そこにつながるのか」
 納得する。
 確かにそれならば、突飛な話ではなかったな。
 迂遠な話ではあったけれど。
 結界ね。
 今まさに僕と忍野は、その中にいるのだ。
 僕の納得を見て取ってか、忍野は語る。
「結界というのは元は仏教用語でね。修行したりする土地を囲ったりしていたのが始まりなのさ。とは言っても同様のもの、つまり囲ったものの内と外を聖と俗に分ける文化や風習は世界中いたるところにあるんだよ。中国の中でけっこう原始的な結界だったら、ただ空間を赤線で囲むだけでそれは結界たりえるんだぜ。ホラ、ラーメンの器は赤いマークで口の部分が囲われてるだろう。あれも元は結界の簡略版だって話もあるくらいなんだ」
「へえ。そいつは知らなかった。博識なんだな忍野」
 さすがは専門家と言ったところか。
 ちょっと感心したじゃん。
「はっはー。誉めたって何もでないよ阿良々木くん。出るのは二酸化炭素ばかりさ」
「そこには感心できないな。何一つギャグセンスが感じられねえよ」
 いちいち人の期待を裏切るやつだった。
 間違いなく友達は少ないだろう。断言できる。
「でもなんで赤で囲むんだ? そこには何か必然性とかがあるんだろ?」
「ご明察と言ってあげたいとこだけどそこまで気づいたならもうちょっと考えて見てもいいんじゃないかな。何でもかんでも人に聞いてちゃ自分の身に付かないぜ。職にしても知識にしても実践を経ずに身に付くものなんかないんだから」
 忍野が能書きをたれている。
 正論だし、珍しいことでもないけど。
 何を暗に示しているのかは、気になるところだ。
「でも考えろってもな。僕はお前みたいに経験も予備知識がないから想像でものを言うしかなくなるんだけど」
「はっはー。それでいいのさ。人間の考えることってのは昔になるほどインスピレーションが基本だからね。想像力に任せるっていうのは大事なんだよ。駄洒落みたいな語呂合わせで験担ぎしてるのなんて例を上げるまでもないくらいだろう?」
 そんなもんなのか。
 言われてみればそんな気がするので、考えてみる。
 赤。赤と言えば情熱の色だよな。あとは火か。暑そうだし。
 でもやっぱ近しいものから考えるだろうな。
 赤、赤……人間の近くにある、赤。
 そうか。
「血か。それか肉か」
 それは確かに人間の一番近くにある色だった。
 なんせ人の体にはその“色”がいっぱいに詰まっているのだ。
 それはもうあふれるくらいになみなみと。
 そのことは、僕が吸血鬼に襲われ、同じ吸血鬼と成ってしまった時に、嫌と言うほど知らされた現実だった。それを目の当たりにしたときの光景は、たぶん一生忘れられないだろうけれど。
 それもまた、今では別の話だ。
 僕の回答が満足いったのか、忍野が手を叩きそうな勢いで反応する。
「ご名答だよ阿良々木くん。今日は本当に調子がいいねえ。悟りでもひらいたのかい? それとも悪魔と契約して知識を手に入れたとか。はっはー。既に半分吸血鬼だってのに、この上メフィストにまでなった日には世の無個性な連中に恨まれるかもしれないよ」
「お前の言動は僕を誉めたいのかけなしたいのかサッパリ分らねえよ」
「そこは僕としてもどっちでもいいんだけどね。ちなみに赤が聖なる色としてみられていたのは答えはズバリ血の色で肉の色だからなんだよ。つまりは命の色。命を生かす聖なる色と見られたわけだね。もちろん火の色としても有名だけどさ」
 要は連想でインスピレーションさ。
 そう、忍野は結論づけた。
 そこは僕も分っていた事だった。
 確かに吸血鬼を始めとする超常の存在、僕たちが怪異と呼ぶそれらに接する時、なによりそれが大切であることは既に学んでいた。なにせ春休みの間の数週間、阿良々木暦はそのもの怪異本体だったのだから。
 この身をもって、学んでいた。
 忍野は春休みの最終日、吸血鬼と相対するに当たって、大蒜を持ち十字架を首からさげ、聖水を武器に戦い、結果として勝利を収めたが、忍野はその全てを気休めの雰囲気作りだと言っていた。
 そんなもので戦うなど、と思うかもしれない。
 しかし非常識な存在に常識で立ち向かえるはずもない。
 つまりは目には目を、だ。
「それにしても、結界なんて言ったらさっきの漫画の話もそうだけど、僕はなんていうか、聖域? 神域か? そういうのを守るバリアーみたいなものだと思ってたな」
 僕の見解に、忍野はふうんとうなる。
 今度はお気に召さなかったらしい。
「バリアーね。近くて遠いとはこのことだ。あれは確かに内と外を敵と味方に分類するだろうけどそれだけだろう。確かに聖なる領域を定めることでそこから俗なるもの、邪悪なるものを退けようっていうのも結界であるけど、そもそもは違うんだよね。意味合いが」
「うん? 分らなくなったぞ」
 話が難しくなってきた。
 これはこいつの説明力不足か。それとも僕の理解力不足から来るものなのか。
 まぁそうそう良い調子は続かないからね、と前置きしてから、忍野が話し始める。
「答えは簡単。まさに読んで字のごとくなんだよ。結界。つまりは界を結ぶ。異界を現界に持ってきて作り出すのがその本義なのさ阿良々木くん。空間から切り取るんじゃなく、切り取ったところが聖域になる。そこに神が下り、聖性が生まれる。そんなアクティブな思考こそが結界の原初であるわけさ。ま、逆の場合もあるんだけどね」 
 なぜだろう。
 補足のように付け足された一言が、やけに気になった。
「逆って、なんだよ」
 すぐさま聞き返すと、忍野は今度はすぐには答えを返さなかった。
 それでも、やがて渋るようにして話し始めた。
「ん~。動物園の檻みたいなものかな」
 檻?
 なんとく、不吉な単語だ。
 忍野は続ける。
「たとえば阿良々木くん。動物園の、ライオンさんとか虎さんとかに檻がなかったら危ないだろう? それと同じさ。この場合は悪魔召還とかの領域なんだけどね。あれだって結界を張って、そこから悪魔が出られないようにしてから命令をするものなのさ。自由にしたら何されるか分ったもんじゃない連中だからね。」
「はーん。なるへそ。閉じ込める、ね」
 閉じ込めて、出させない。
 閉じ込められて、出られない。
 それはこの身を持ってよく分る説明だった。
 あといい大人が動物をさん付けで呼ぶな。
「そう。だから結界を作る際はなにより慎重に丁寧に作らないといけない。明に暗に、漏れ出すってことはいいものじゃないからね。厳重に、十重二十重に、機を織るように細やかな手間が必要なのさ」
 忍野の語りは、最後のほうになるにつれ重たいものになっていた。
 その理由は、今となってはすぐに思い至る。
 会話の内容を僕たちの現状とを照らし合わせれば、それはおのずと見えてきた。
 しかし、僕は自分の推察が間違っているというわずかながらの希望を頼りに、忍野に問いかけた。
 話の落ちを、催促した。
「で、その話はどこにつながるんだよ。忍野」
「はっはー。分ってるくせにちゃんと話を最後まで聞くところはさすがだね阿良々木くん。こっちもお喋り冥利に尽きるってもんさ。いやいやこの町に来て最初に出会ったのが阿良々木くんで良かったよ。悪い縁じゃなかった。根無し草の僕が同じ人間と何度も話をするなんてけっこう珍しい事態だからね。これで話の合わないやつだったらと思うとゾッとするよ。見ると聞くとじゃ大違いっていうけど、聞き上手と話し上手だったら聞き上手の方が重宝されてしかるべきだね。まったく日頃の行いが良いと……」
「なげ-よ! お前はいつまでどこまで落ちを引っ張る気だよ! いい加減ハラハラドキドキしてるこっちの身にもなれよ! 落とすならさっさと落とせっ!」
 なかなか落ちを言わない忍野に、ついに怒鳴ってしまった。
 無駄に話の長いやつは嫌われる。
 無駄話が長いやつは輪をかけて嫌われる。
 こいつ絶対友達いねーよ。
 全財産賭けてもいい。
「はっはー。今日は本当に元気がいいね阿良々木くん。何かいいことでもあったのかい?」
「それがお前の口癖で意味も他意もないのは知ってるけど、今日ばかりはお前をぶっ飛ばせられたら僕は幸せだな! 元気でもいいよ! でもここは現在の危機的状況を鑑みるにお前の話は最後まで聞いておかなければと思ってるからぶっ飛ばさねえし話は最後まで聞く構えなんだ! だからさっさっと話せ! 前振りも伏線ももう何一ついらねえよっ!」
 僕は全力で突っ込みを入れた。
 黙って聞いていられなかった。
 聞き上手も名誉返上だ。
 何はともあれ現状把握。
 テーマは“結界”。
 阿良々木暦と忍野メメは現在、結界の中にいた。
 前述の学習塾跡の廃ビルの4階の一室、忍野曰く簡略式で、単に人払い+アルファ程度の効果しかないと言う縄と釘だけで作られた結界。
 その中に、いた。
 正確に言えば、閉じ込められている。
 忍野メメ製作。
 忍野メメ監督。
 主演、忍野メメ。阿良々木暦。他1。
 忍野曰く、厳重で十重二十重に機を織るように細やかな手間をもって作られたという結界に。
 放課後になってこの廃ビルを訪れてから、既に6時間あまりが経過していた。
 そりゃ元気もなくなるよ。
 忍野がこんなに元気なのがおかしいんだ。
 封じようとしていた対象に逆に封印されたなんて、専門家なら恥ずかしさと屈辱にうちふるえていてしかるべきだと思うのに。
 ま、忍野がおかしいのは前からだし。
 おかしいやつなら他にもいるのだけど。
 例えば僕とか。
 例えば僕と忍野を結界の中に閉じ込めておいて、逃げる事も笑う事もせずにただただ部屋の隅に体育座りして僕たちの姿を眺めている存在なき存在、とかも。
 それは、金髪の少女だった。
 外見年齢は8歳くらいの。
 ヘルメットにゴーグルをしている。
 肌が白い。幽鬼のごときその白さが、夜を迎えたこの廃ビルの一室の中では光を放つような存在感があった。
 少女の形をしているソレは、まっすぐと、マジマジと、忍野メメの背中を睨んでいた。
 その目が何を言っているのかは、僕には分らない。
 そんな視線もどこ吹く風で、忍野は独り言のように言う。
「はっはー。それにしても油断してたよ。まさか結界の作動方法をあの娘が知ってたなんてねー。弘法も筆の誤りとはこのことさ。まいったまいった。もはや風前の灯程度の力しかないと思って侮っていたのが悪かったかな。さすが、何百年と生きているとつくのは力だけじゃないみたいだね」
「……だな」
 賛同する。
 そして理解もしている。
 こんな目にあっているのは、僕の自業自得だということも。
 金髪の少女。
 吸血鬼の成れの果てで。
 吸血鬼の搾りかすで。
 僕を襲ったばっかりにこうなってしまった――僕の被害者。
 姿も形も、存在すらもない、未だ名づけられざる元吸血鬼。
 僕と忍野はこいつのための結界を作っていて、指先一つの外部操作によって(忍野曰く、仕上げの仕上げのところを反転させられたらしい)こうして閉じ込められるにいたっていた。なんでもこういうのは無力な人間がやるための術だから、吸血鬼である力のほぼ全てを失ったようなこいつにも出来たのだそうだ。
 以上が現状に至った、否、陥った過程だ。
 そしてこの手元の靴紐を結んではほどき結んではほどきをしている。
 忍野曰く(何度もこれ使ってしつこいかもしれないけど)、紐を結ぶというのはそれだけで結界を作ることにつながるものであるらしい。特に紐の先を結び目に隠してしまえるような結び方は、魔の入る隙間を作らないという意味合いがあるのだそうだ。
 で、結び目を作りそれをほどく事で、結界の基点とされる四つの隅でそれを行う事で、結界の結びをほどくまではいかないけれど、緩めることができるらしい。
 らしい。
 だそうだ。
 言っていた。
 怪異や結界やらには素人でしかない僕は、ひたすら忍野の指示に従っている。
 もう数時間にもなる長い時間を。
 これがどの程度の効果があるのかがピンときていないので、つのる心労も大きい。でも忍野は忍野で見たこともないような複雑怪奇な結び方をそれこそ目のも留まらぬ速さでやっているので、文句らしい文句も言えないのだった。
 しかしやはり聞いておかなければ続けられない。
 適当に会話の間断をぬって、僕はその話題を持ち出した。
「なあ忍野。聞くまい聞くまいと思ってたんだけどやっぱり聞かずにはいられないんだけどさ。この作業、どんだけ続けたら効果でるんだ?」
「はっはー。なんたってこの忍野メメ特製の結界だからねー。ちょっとやそっとじゃビクともしないさ」
 自慢げに言う忍野。
 答えになっているようでなっていなかった。
 ごまかされたのかもしれなけど、もしかするとちょっと疲れているのだろうか。
 それにアレのことについての案件なのだから、つまりは僕の責任でもあるのだ。う~ん。忍野に対して責任を感じるのってなんか嫌だな。なぜだろう。
 悩んでいても見つかる答えではないので、謝っておくことにした。
「悪かったな、忍野」
「なにがだい阿良々木くん? 僕は阿良々木くんに謝られるようなことはした覚えはないぜ。今回の事も僕の油断が原因だしね。阿良々木くんは巻きこまれ方のただ被害者じゃないか。謝られる筋合いもないのに謝られるのって、けっこう怖いんだぜ。まだ阿良々木くんが僕に語っていない新事実とかが発掘されるんじゃないかってね」
 ワビを受け取らない忍野。
 やべーよ。
忍野が良いやつに見えてきた。
 僕のことをただの被害者と呼んでくれたよ。
 汚らしい身なりも隠遁した賢者のように見えてくる。真の智を持つ者は外見を飾らないとも言うではないか。よくよく見ればアロハ服もそんな不思議な印象の忍野によく似合っている。なんで僕はこの人に敬語を使っていないんだろう。忍野さんと呼ぶべきではないのか。
 吸血鬼のことを解決したときに500万円請求されたからだろうか。
 …………
 そうだった。答えは身近な所に転がっていた。やっぱ敬語を使う必要はない。忍野でいい。
 でもここは僕が謝るところである事には変わらない。
「いやさ、アレを封印するために作った結界なんだろ。だったら作らせたのは僕だし、原因は僕にあるじゃないか」
 それに恨みを買われるような原因を作ったのも僕だ。
 忍野は通りすがりでしかなかったのに。
 僕の言葉を聞いて、忍野は言う。
「ああ、そういうことになるのか。でも阿良々木くん。君は一つ勘違いをしてるぜ。僕がいつあの娘を封印するために結界を作ってるなんて言ったかな?」
「あ……それは」
 そういえば、言ってなかったけ。
 忍野は住居を改築する、と言っていたのだ。
 でも改築するにしたってここは人の私有地だろうし、できるのはせいぜい模様替え程度だけど、それにしたってこの縄やら釘やらの設置を見て、アレと忍野の関係性を考えれば、可能性は一つしかないと持っていたのに。
「違うのか?」
「違うよ」
 忍野はキッパリと否定した。
「あの娘のためって所だけは正解だけどね。必要なのはあの娘から周りを守る事じゃない。逆さ。あの娘を周りから守るために作った結界だったのさ」
 どういうことだ? と問いかけたところで、その言葉の意味に気がついた。
 アレが最強の吸血鬼だったのは昔の話だ。
 今は搾りかすでしかない。成れの果てでしかない。
 当然、力もほとんどないに等しいのだ。
 ライオンだろうと虎だろうと、手負いの虫の息ならば、どんな格下にでも狩られる。
 檻は外から中のものを守るものでも、あるのだ。
「そういうことさ。+アルファっていうのがそこで、後は人払いだね。何かしらの怪異ならいざ知らず、普通の人間にばったり会っちゃったらそれはそれでどっちがどうなるか分らないからさ。それに関しては半分は僕のためにでもある。不法占拠というか、勝手に居座ってる事がバレたら怒られるからね。流浪の人は辛いのさ。それに僕が本気で封印しようとして結界を作ってたとしたら僕たちはあがく事も許されずに今頃はゆっくりと死を待つ時間だっただろうさ。そこだけ見れば、不幸中の幸いと言えなくもないかな」
「忍野、お前……」
 どうしよう。
 忍野が良い人にしか見えない。
 感動してしまった。
 錯覚だとしたらすぐに目医者にいかなければならないほどの重度のものだ。
 いや、事実だ。現実で、真実だ。
 やはり良い人だ。忍野メメ。今までの僕が間違っていた。これからは敬意を表して忍野さんと呼ぼう。500万円もなんとかして払おう。本当に僕はいい出会いをした。春休みに僕を助けてくれたのが忍野でよかった。これほどの人格に友達が少ないわけがない。それにこんな延々続く単純作業も、そんな忍野への恩返しの一貫と思えばなんら苦ではない。むしろやる気がみなぎってくる。
 こうして僕の中での際限なく忍野株は上昇していくのだった。
 そして今すぐ心の底からこれまでのことに対するお礼を言おうとしかけた時、ちょうど忍野もまた口を開いていた。
「それにしてもこんなことになるなんて思わなかったね」
「ああ、まったくだ」
 まったくだ。
 忍野のこんな一面が見れるだなんて、思いもよらなかった。
 赴任以来ただの不良だと思って頭を悩ませていた生徒が友情のために喧嘩をしていたところを見てしまった熱血教師のような心境で、僕は喜びを感じていた。
 そんな僕の心境をよそに、忍野は続ける。
「昨日僕がからあげクンをレギュラーじゃなくてレッドを買ってきたことにあの娘がまだ怒ってたなんてねー」
 忍野は事も無くそう言った。
「…………」
 反応ができない僕。
 今、何かしら聞き捨てにならないセリフを聞いた気がした。
 たぶん、聞き間違いではない。
 忍野メメは、自供を続ける。
「でもこれって僕のせいじゃないと思うんだけどね。まさか元とはいえ歴戦の吸血鬼が辛いものを食べられないだなんて思わないだろ? しかたないからフライドポテトは全部譲ってあげたっていうのにねえ。物の価値が分らないお子様だよ。それで不機嫌だったのは知ってたけど、まさかこんな仕返しに打って出るとは思わなかった。窮鼠猫を噛むとは言うけど、普通に猫を噛む鼠もいるもんだね。まあ、あの娘の場合は鼠じゃなくて鬼なんだけど。はっはー。鬼の目にも涙っても、あの娘は徹底して無表情の無口キャラだからきっとお情けをいただけることはないだろうねー」
 まったく阿良々木くんには迷惑かけるねーと、忍野は言った。
「…………」 
 阿良々木暦は、何も言わない。
 言葉を、失っていた。
 落差にショックを受けていた。
 本当に、僕は巻き込まれ型の被害者でしかなかった。
 真の原因は忍野メメにあったらしい。
 いや……うん。わかってたよ、こんな落ちになるなんてさ。
「どうしたんだい阿良々木くん? なんだか部屋の空気が変わった気がするけど」
 全体的に汚らしい身なりでサイケデリックなアロハ服を着たたぶん友達とかいないであろう三十過ぎのおっさん――忍野メメが振り向きもせずに問いかけてきた。
 お前のせいだ、とは言わない。
 言う気力もなかった。
「……うん。気のせいじゃね」
「ふうん。そうかい。けっこう雑談しながらだけど、たぶんもう少しだから気をひきしめて頑張ろうぜ。人は自分の力で助からないとね」
「ああ……うん。そうね」
 生返事だった。
 それもそのはず。
 僕の気なんて、とっくの昔にバラけてほどけてしまっていたのだから。



003



 後日談というか、今回のオチ。
 翌日、いつものように妹の火憐(かれん)と月火(つきひ)に叩き起こされ、睡眠時間が一時間をきっていることが原因の眠気と戦いながらも僕は学校の準備をして家を出た。
 数日後に控えたゴールデンウィークが昨日の数倍待ち遠しくなっていたこともあり、睡眠不足からくるハイテンションも相まって何故か鼻歌まで歌いながらいつもの自転車で通学していたところ、何の前触れもなく何も無いところでいきなり転倒した。
 理由は簡単で、ほどけた靴の紐がチェーンに巻き込まれたせいだった。
 確認してみるとほどけたのではなく千切れていた。
 それも両足同時に。
「…………」
 不吉だった。
 たぶん昨日のことが原因なのだろうが、なんとなく未来の不幸でも予見しているような感じだ。春休みの間は何もできなかったので、ゴールデンウィークはどうやって有意義に過ごそうかと考えていた矢先にこれである。かなりさいさきが悪い。またぞろ何か事件にでも巻き込まれるのかと心配になった。
 なんにしろ、これで大型連休一日目の予定は決まった。
 町に出て、靴か、もしくは靴紐を買ってこないといけない。


 新しい靴を履いた時は、ひさしぶりにちゃんと気をひきしめて紐を結ぶとしよう。

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